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ANAの機内誌「翼の王国」2011年7月号で北海道置戸町(おけとちょう)のオケクラフトが取り上げられていました。置戸町だからオケクラフトというネーミングなのですが、どちらも知りませんでした。もともと林業の町であった置戸町で町に住む人たちが暮らしや産業の中に木工を取り入れ、多くのクラフツマン(職人)が移り住み木工品を製作しているそうです。置戸町内の小学校・中学校の給食ではこのオケクラフトの食器を使っているそうです。置戸小学校は食器だけでなく給食と食育もすばらしいようです。

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泰西王侯騎馬図屏風の記事を投稿する際、ネット検索で見つけたのが『室屋長兵衛』というサイト。富山県高岡市の山元醸造のショッピングサイトですがすごく面白い。サイトによると山元醸造は

安永元年(1772年)に先祖の室屋長兵衛が、加賀藩の所轄高岡町(現在の富山県高岡市)にてこうじ屋を始めたことにあります。こうじ屋に始まり、後に味噌・醤油の製造を家業としました。

ということで、ショッピングサイトが『室屋長兵衛』という名称なのですが、サイトマップをご覧いただくとわかるように面白そうなコンテンツが満載です。

連休中に家に散乱している本や雑誌を整理していたら、2006年11月11日〜2007年1月13日にスーパーエッシャー展が開催された時にミュージアムショップで購入したDesign Quarterlyという雑誌(2006年秋号)が出てきました。

この雑誌のエッシャーの特集記事を読んでいたら、エッシャーの父は明治政府に招かれて来日し、河川港湾の事業に関わった土木技術士ショーシ・エッシャーとのことです。

そこで例によって検索すると「ショーシ・エッシャー」はオランダ式フランス語読みで、日本ではジョージ・アルノルド・エッセル(George Arnold Escher)あるいはゲ・ア・エッセルと呼ばれていたようです。

福井県三国町にはこのエッセルが建てた「龍翔小学校」を復元した『みくに龍翔館』(木造五階建八角形というユニークな形状の外観を模して復元しています)と『三国港突堤』があります。

エッシャーは父エッセルが日本から帰国するときに持ち帰った錦絵などの影響も受けているのではと推測されてもいるようです。

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ひとつ前の投稿で羽田澄子さんの最新の映画について書きましたが、羽田澄子さんの代表作『早池峰の賦』を残念ながら観てないのです。

早池峰(はやちね)といえば、タイマグラという地域がある事を知りました。「タイマグラ」とは、アイヌ語で「森の奥へと続く道」という意味で、北上高地最高峰・早池峰の東麓、岩手県川井村にある集落のことを指します。

このタイマグラに奥畑充幸、陽子さん、3人の子どもたちが住んでいます。雪が少なく自然豊かな場所で山小屋をしたかった充幸さんがタイマグラに出会い住み着いたのは20年程前。廃村だと思っていたら近くに向田さん夫婦が住んでいました。夫の久米蔵さんは翌年に亡くなりましたが、妻のマサヨさんにタイマグラでの暮らしを教わり続けたそうです。マサヨさんも2002年に亡くなり、タイマグラの伝承は充幸さんにゆだねられました。その後、タイマグラの環境を価値として共有する住民が増え、今は20人余が住むそうです。

向田さん夫婦の生活は2004年に『タイマグラばあちゃん』として、今のタイマグラに暮らす人々の生活は2009年に『大きな家 タイマグラの森の子どもたち』として、それぞれドキュメンタリー映画になっていますが、残念ながら観ていません。両作品とも今もあちこちで自主上映されているようなので機会があったら是非観てみたいものです。

部屋中に乱雑に散らかっている本や雑誌の下の方から、「旅」という雑誌の2008年10月号が出てきました。「五島列島は、まるで異国にようなニッポンです。」と表紙にあるように、特集は五島列島です。五島列島の島々を訪ねる記事の中で特に興味を持ったのは小値賀島(おぢかじま)にある100年の歴史を持つ活版印刷所《晋弘舎》。《晋弘舎》は「しんこうしゃ」と読みます。

ザビエルが長崎・平戸の地を踏んだのが1550年。長い歴史を経て、五島列島には今なお祈りの場として50ものカトリック教会があります。そしてキリスト教の伝来とともに、鉄砲が伝来した事も社会科の教科書でご存知のとおりです。鉄砲と比べるとあまり取り上げられませんが、グーテンベルクの活版印刷術も伝来しています(印刷物による布教が必要ですからね)。因みに西洋外科手術もキリスト教とともに伝来しており、医師アルメイダは1557年に大分に病院を設立しています。この辺の経緯を私は若桑みどりさんの『クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国』で知りました。

そういう意味で、小値賀島で100年の歴史がある活版印刷所《晋弘舎》が今も営まられているのは興味深いのです。「デザインのひきだし」という雑誌でも《晋弘舎》がとりあげられた事があったようです。ミシマ社の「ミシマガジン」というサイトで「デザインのひきだし」の編集をしているグラフィック社の津田淳子さんのインタビュー記事があり、小値賀島と活版印刷所《晋弘舎》について少し知る事ができます。昨日のブログで取り上げた「シマダス」もここで知りました。「ミシマガジン」というサイトも面白そう。

新潟県最北部の村上市は平安時代からの鮭が特産で、町には出格子や障子戸のある町家がいまも約370棟が残るそうです。

武家屋敷、町屋、寺町、城(跡)という城下町としての四大要素が残っているにもかかわらず、経済成長期の平成9年頃に町屋の多く残る町人町に道路拡幅を伴う大規模な近代化計画の話が持ち上がり、町屋は危機的状況を迎えました。そのとき、町屋保存に立ち上がったのが鮭の味匠『喜っ川』(『喜っ川』(きっかわ)の『喜』は「七」を3つ書く字です)の吉川真嗣氏。妻の美貴さんと全国200を超える町を訪れ、城下町や町屋の価値を再確認し、町屋の中を公開する取り組みを始めました。

町家を中心に約60軒の家々に伝わるひな人形を茶の間に飾り、自由に見てもらうという2000年に始まった『町屋の人形さま巡り』には今では10万人の観光客が訪れるそうです。『村上のまちづくり』というサイトをみると村上の魅力とまちづくりの取り組みがわかります。以下は上記サイトで紹介されている村上の催しです。

  • 町屋の公開
  • 町屋の人形さま巡り
  • 町屋の屛風まつり
  • 宵の竹灯籠まつり
  • 十輪寺えんま堂の骨董市
  • 黒塀プロジェクト
  • 町屋の外観再生プロジェクト

平安時代からの特産の鮭、城址と武家屋敷、静かな寺町、出格子や障子戸のある町家、お茶や漆工芸の堆朱(ついしゅ)、和菓子、酒などの店が軒を連ねる村上市、行ってみたくなりませんか。

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いつになるか分かりませんが、長崎市外海(そとめ)地区に行きたいと思っています。目的は特産の『ド・ロさまそうめん』

『ド・ロさまそうめん』で検索すると、

キリシタン禁制の時代、迫害を逃れて信者達が移り済んだ外海の出津(しつ)。明治12年、この地に赴任したマルコ・ド・ロ神父は、村人の余りにも貧しい生活に驚き、生活を向上させようと素麺等の技術を伝えました。太平洋戦争の混乱の中、一旦は途絶えたその製法を地元グループが手探りで再現させました。
良質の小麦粉に落花生油を引き油に用いた独特の製法で作られており、ちょっと太めでコシの強さが自慢。

だそうです。ネットで入手できますが、現地に行って食べたい。

東京・向島の鳩の街通り商店街の界隈は東京大空襲の被害を奇跡的に免れ、木造家屋や狭い路地の往事の街並みが今も残る昭和の情感あふれる街だそうです。『アート&カフェ こぐま』はずっと演劇をやってきた柳澤さん(妻)と山中さん(夫)が2006年に開いたカフェで、この商店街にある昭和2年建築の木造長屋を生かしたカフェだそうです。

『こぐま』のホームページによると、

こぐまは、昭和2年建築の木造長屋をリノベーションしたカフェです。昔は「カネコ薬局」という薬局でした。戦前から昭和50年代まで営業したのち、しばらくの間空き店舗でしたが、一時期、設計士の方が内部をリノベーションし、古道具・古材を扱うお店として、週末営業を行っていました。その空間を引き継いで、わたしたちがさらにカフェに改装。2006年11月こぐまがオープンしました。

昭和2年築の木造長屋をそのままに、もともとこの家にあったモノたち、残された薬のパッケージ箱などに加えて、自分たちの持っていた古いもノなどを店内に レイアウト。古い中学生用の学校机と椅子がカフェのテーブルと椅子です。

落ち着いたノスタルジックな空間のこぐまには、喫茶・食事をしながらゆったり楽しんでいただけるよう、昔の薬棚を活用した「棚ギャラリー」や「古本コー ナー」もあります。

おいしい珈琲とオリジナルカフェごはん、自家製デザートなど楽しい憩いのメニューを味わいながら、こぐまを楽しんでいただけたらと思っています。

さまざまなジャンル、さまざまな人、さまざまな地域、さまざまな時間…と出会う場として、古民家カフェのほっこりとした時間をお楽しみくださいますよう。

鳩の街商店街は経済産業省・中小企業庁の選定する新・がんばる商店街77選』にも選ばれています。(がんばる商店街77選はこちら

『アート&カフェ こぐま』と鳩の街商店街、ちょっと行ってみたくなりますね。(鳩の街商店街のホームページも柳澤さんが作成しています)

2010年12月2日の朝日新聞夕刊の「窓」というコラムで富山県砺波(となみ)地方に広がる『散居村(さんきょそん)』がとりあげられていました。『散居村』って言葉を知らなかったのですが、広大な耕地の中に住宅が散らばって点在する集落形態をこう呼ぶようです。ウィキペディアによると、砺波平野は日本最大の散居村でおよそ220平方kmに7000戸程度が散らばっているそうです。

コラムによると、田んぼの中に、屋敷林に囲まれた家々が点在し、山の上から眺めると、海に島が浮かんでいるようだとのことです。家の周りには高さ30m、幹回り3.5mという巨木があり、風よけになり、日差しや吹雪も遮ります。コラムを書いた人が訪れた一軒で母屋の部屋数を訪ねると、「12か13かな」。そして「300人は入れます」との答えが・・。

となみ野散居村フォトコンテストの画像を見ていると、本当に美しい。こういう所で生まれ育ったら、なんという贅沢なことでしょう。