澁澤龍彦 あるいは 塩野七生

1年程前に塩野七生の「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」を読みました。塩野七生の「チェーザレ・・・・」は1970年に発行されているので、「遅ればせながら読みました」と言うべきですね。「塩野七生 ルネサンス著作集3」で読んだのですが、この本には、巻末に「メイキング『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』」として、著者自身の執筆当時に回想が付いていました。

この、「メイキング・・・」を読んでいたら、刊行前のエピソードとして、

−それでいよいよ、第二作になる『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』が刊行されるのですが、このタイトルは変わっていますね。
◆・・・(前略)・・・まず私のほうは、『チェーザレ・ボルジア』だけで発表するつもりだった。ところが新潮社側は、このタイトルでは日本の読者に通じない、と言う。・・・(中略)・・・私とてこの現状は認めざるを得なかったので、「優雅なる冷酷」という妥協案を出した。それで新潮社側はOKになりそうだったのですが、私のほうが何となくつまらない。遊びに来た庄司薫に、これでは何となくしっくりこないと言ったら、彼が、サブタイトルにしないでくっつけたら、と言う。「あるいは」をはさんでくっつけるのはサド公爵の作品のまねですよね。

とありました。

私のこのブログの記事のタイトルを時々「・・・あるいは・・・」としているのですが、これは偏愛する澁澤龍彦のエッセイにやはり「・・・あるいは・・・」と言うタイトルの文章があるのを真似ているのですよね。

・・・か で読む フィンチの嘴 − 抵抗運動

1994年出版され、1995年ピュリッツァー賞を受賞したジョナサン・ワイナリー「フィンチの嘴」(の日本訳本)を読んでいます。20章からなるこの本の18章「抵抗運動」を今読んだところです。

「抵抗運動」では、農産物に対する害虫が殺虫剤に対して、耐性をもつ変異体(遺伝子変化)として進化し、殺虫剤の有効性がすぐに低下してしまうと言う多くの実例が紹介されています。
ウィルスとワクチンとウィルスの変異についても同様でしょう。
「・・・か」(か:下 or 禍)の今、「フィンチの嘴 − 抵抗運動」は示唆に富む内容です。

手を差し延べてはいけません あるいは 飲水のマナー

先日、サッカー日本代表のテストマッチの対メキシコ戦をTVで見ていたら、後半日本の守備のバランスが悪くなって、鎌田(かまだ)が後ろからタックルするような形になり、イエローカード(警告)を受けました。
鎌田がファウルしてしまった選手を起こそうと手を差し延べようとしたら、メキシコチームのチームメートが怒るように寄ってきました。そんなに悪質なファウルでもないのにと思いましたが、もしかしたら、ファウルを受けた選手と鎌田の手が接触するのを防ごうとしたのかもと思いました。

「どっちだったんだろう?」、細かいことが気になってしまうのが、僕の悪い癖。

ふたつ前の投稿でドリンクウォーターについて書きましたが、飲水についても最近のサッカーの試合では前後半のそれぞれ半分位の時間(前半なら22分頃、後半なら67分頃)に飲水タイムを取るルールで運営される場合が多いですよね。サッカーをよく見る人には周知のことですが、「飲水タイムを設け、個別のボトルから水分を摂取する」ことにより、感染病を移すリスクをより少なくしているのですよね。

覆毒草盆に返らず 虎の尾を踏む

「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」の第二章「ふくろうのつぶて」を読んでいたら、こんな文章がありました。

・・・・・・まあ、こぼれた魔法薬、盆に返らずってとこか・・・・・・しかし、猫の尾を踏んじまったね。

「こぼれた魔法薬、盆に返らず」は高校の英語の教科書で学んだあの諺(it’s no good crying over spilt milk)の変奏ですね。ということで、原文(Harry Potter and the Order of the Phenix Chapter 2 A Peck of Owls)を参照してみました。

…well,it’s no good crying over spilt posion,I suppose…

と言うことは、「猫の尾を踏んじまった」も日本語の慣用句「虎の尾を踏む」に対応する英語の表現があると言うことでしょうか。こちらは原文では

…but cat’s among the pixies now

ちょっと検索したら、「put the cat among the pigeons」と言う表現があるようです。が、英語に疎いので、「put the cat among the pixies」がこれの変奏稼働かは?です。

水は飲むけど酒に飲まれる

ふたつ前の投稿でイングランドのウォーターハウスについてちょっと変わった苗字だと書きましたが、waterと言えば、岡崎(慎司)がイングランドプレミアリーグのレスターにいた頃、MFには驚異の運動量とボール奪取のフランスのカンテがいましたが、その相棒を勤めていたのがDrinkwater、変わった苗字なので、スカパーで観戦する際もちょっと注目してしまうのですが、(玄人好みの)好選手でした。

Wikipediaによると、代表キャップ3回。ですが、Wikipedia中の「人物」と言う項目によると

アルコールによるトラブルが多く、2019年4月に飲酒運転によって20か月の免停処分を受けた他、2019年9月にはスカンソープ・ユナイテッドFCに所属するクゴシ・エントレの恋人にナンパし、少なくとも6人の男から暴行され全治4週間の負傷をした。

日本のウォーターハウス 富山市速星

ひとつ前の記事でウォーターハウスについて書きましたが、Waterhouseってちょっと面白い姓ですよね。

日本にも「水家」って姓はあるのでしょうか。と言うことで「水家 苗字」で検索。

「日本姓氏語源辞典というサイトの【水家】名字の分布」によるとやはり『水家』って珍しい苗字のようで、全国で100人位。そのうち富山市速星地区に30人位。

「同辞典の富山市速星の苗字」によると、この地区の苗字は多い順に

  • 原、井上・・・50人
  • 山本・・・40人
  • 青木、斎藤、瀬戸、水家・・・30人

水家 漱石 清方 太郎

ひとつ前の投稿でウォーターハウスに関する記事を書きましたが、ウォーターハウスには「人魚」と題する作品があります。夏目漱石の「三四郎」で三四郎が美禰子と一緒に人魚の絵を見る場面がありますが、この人魚はウォーターハウスの「人魚」からインスパイアされたと言われています。漱石は「坊ちゃん」の中でターナーの絵も題材にしています。ターナーもウォーターハウスも漱石のロンドン留学中に実際に作品を見たと言われていますが、ターナーは漱石から見たら一世代前の画家ですが、ラファエル前派は漱石にとっては同時代の絵画として作品に遭遇していたのでしょう。
ラファエル前派や象徴派の絵画にはセイレーンを題材にした作品がありますが、鏑木清方の「妖魚」はこれらの影響を受けていると言われていますね。
「実際、生没年はどんな感じだったのだろう」と言うことで、(漱石と同時代にドイツに留学した鴎外、鏑木清方の「妖魚」の所有者であった福富太郎も含めて)並べてみました。

  • ターナー 1775年 – 1851年
  • ウォーターハウス 1849年 – 1917年
  • 森鴎外 1862年 – 1922年
  • 夏目漱石 1867年 – 1916年
  • 鏑木清方 1878年 – 1972年
  • 福富太郎 1931年 – 2018年

マンチェスター市立美術館 ヒュラス

ブレイディみかこの「ブロークン・ブリテンに聞け」の「#芸術がウザくなるとき」というタイトルの(「群像」2028年4月号に掲載された)文章が面白い。

この記事は2018年初にラファエル前派絵画のコレクションで有名なマンチェスター市立美術館でウォーターハウスの「ヒュラスとニンフたち」が唐突に一時撤去され世論が炎上した件に言及したものですが、この私の投稿は記事の主題とは全く関係なく、「お恥ずかしながら、マンチェスター市立美術館ってラファエル前派絵画のコレクションで有名なことを知りませんでした。行ってみたい(そもそもイングランドには2009年にロンドンに行ったことしかないのです)。」

は?

ブレイディみかこの「ブロークン・ブリテンに聞け」を読み始めたら、「はじめに」の最後に

その日々の断片をスクラップしたようなこの時事エッセイ集を、願わくはあなたも飽きずに読み進めてくださることを祈りつつ、・・・(以下省略))・・・

とある。

は?
自分は「願わくば」と言って(「願わくば」を実際に使ったことはないかもしれませんが)きました。
ふ〜ん。「多分、『願わくは』が正しいんだろうな」と思いつつ、「願わくば 願わくは」でグーグル先生に聞いてみました。「毎日ことば」というサイトにわかりやすい説明がありました。

明鏡国語辞典2版では「動詞『願う』のク語法『願わく』に助詞『は』の付いた語。慣用で『願わくば』ともいうが、本来は誤り」

明鏡の説明に出た「ク語法」とは、動詞の「活用語の語尾に『く』がついて全体が名詞化される」ものです(日本国語大辞典2版)。例としては「惜しむらく」「恐らく」のようなものが挙げられます。「惜しむらくは」「恐らくは」とは言っても、「惜しむらくば」「恐らくば」などとは言いません。「願わくば」はだいぶ旗色が悪いようです。

「願わくば」と誤用するのは江戸時代からあったそうで、その理由についても解説されています。
参考:毎日ことば:「願わくば」が浸透、「願わくは」を上回る