何故 今、蕁麻の家
電車の中で本を読んでいる小学生に出会すことがある。こういう時、大人やもうちょっと年長の子のように本にカバーをして自分の読んでいる本を知られないようにするなんてことはしない(ように思われる)。
逆に電車の中でカバーをせずに本を読んでいる人に逢うと、気づかれないように書名をチェックしてしまう。
ひとつ前の投稿で府中市美術館に行ったことを書きましたが、京王線で新宿から府中に向かう途中から電車に乗ってこられた女性が自分と反対側のシートに座ると文庫本を読み出しました。
「蕁麻の家」。「なんで今、蕁麻の家?(この女性、随分前にこの本が話題になった時には生まれていない御年齢でしたので)」
「蕁麻の家」。蔵書にあるけど、読んでいません。
本棚で探して見たら、自分が持っている本は
昭和五一年九月十五日発行
昭和五四年五月二十日三十刷
でした。
2018年の年末から2019年の年初にかけて、前橋文学館で「この二人はあやしい」というタイトルで開催されていた芥川龍之介と萩原朔太郎のアフォリズムに焦点を当てた企画展に行った時、龍之介、朔太郎、葉子の親との関係性についてフォーカスした記載があり、我が家の本棚で未読のままの「蕁麻の家」が気になったのですが。
「萩原葉子」で検索したら、昨年(2020年)は萩原葉子生誕100年で、前橋文学館で「なぜ踊らないの-生誕100年記念 萩原葉子展」が開催されていたことを知りました。