池袋チャイナタウン 中国に一番近い街

『池袋チャイナタウン 中国に一番近い街 行くなら今だ』

池袋北口にチャイナタウンがある。いや、あるらしい。『チャイナタウンがある』という言い方をするのは、いつ知ったか自分でもよくわからないのだが、池袋北口にチャイナタウンと呼ばれる界隈があるのは知っているからだ。『チャイナタウンがあるらしい』というのは、そもそも池袋北口界隈を歩いたこともなく、実際に池袋チャイナタウンに行ったことがないからだ。

最近、『池袋チャイナタウン』という本が出版された。これがなかなか面白い。面白いだけでなく、池袋チャイナタウンが日本や中国の今を反映していることがよくわかる。

参考:著者の山下清海さんのホームページ

以下、本の内容(の一部)ですが、皆さん知ってました?

  • 1978年の中国の改革開放政策1978年の中国の改革開放政策により海外に出て生活する中国人を新華僑と呼ぶが、『池袋チャイナタウン』は新華僑の街である。池袋周辺に日本語学校やアルバイト先の飲食店が多数あることから、中国人が集まり、自然に形成されたものである。
  • 横浜・神戸・長崎の三大中華街が観光地化し、日本人が中華料理を味わう為に訪れる場所となっているのに対し、『池袋チャイナタウン』は観光地化する前の化粧っ気なしの素顔のチャイナタウ ンである。中華料理店、書店、旅行代理店、不動産業、ヘアサロン、カラオケ店、・・・等、『池袋チャイナタウン』には新華僑向けのさまざなビジネスがあ り、中華料理もそこに住む中国人の嗜好にあった本物の中華料理である。
  • 商店の脇の路地にうずたかく積まれた段ボール箱や歩道や車道の上の大きな看板は中国本土の繁華街に行けばどこにでも見られる風景だが、街の浄化に取り組んできた地元商店街は険しい視線を投げかける。とはいえ、池袋も元々は戦後の闇市から発展した街である。
  • 横浜中華街にも新華僑は進出してきており、路上での客引きやゴミ出しのルールを守らない等の新華僑のふるまいは横浜中華街の老華僑を嘆かせている。新華僑による低価格競争もブランド化により価格を維持してきた老舗の客離れを招き、老華僑にとっては我慢できない。とはいえ、新華僑の進出を許したのは老華僑のお店の廃業であり、新華僑が来てくれなかったら、横浜中華街といえども、シャッター街になっていたと言う老華僑の声もある。
  • 新華僑の増加による新華僑同士での過当競争と値下げ合戦は利益につながらず、従業員の引き抜き等の負の連鎖にもなっている。
  • 同業者へのライバル心こそあれ、新華僑同士の横のつながりもなかった『池袋チャイナタウン』であるが、2008年1月に池袋の新華僑有志が『東京中華街』構想を打ち出した。新華僑経営の店のネットワークをつくり、ブランドを確立して集客力を高める構想であるが、地元商店街の反発を招いてしまい、暗礁に乗り上げ凍結したままである。
  • 池袋にひしめいていた日本の飲食店での若き日の皿洗い等の苦労が『池袋チャイナタウン』を作り上げたと言えるが、こうした下積み経験や社会経験をせずに起業する新華僑が増えている。(中国の父親が「がんばれよ」とポンと資金を提供してくれた人の例も・・)
  • 近年、新華僑の進出先は欧米、ロシア、南米、アフリカ等の世界各地に次々にニューチャイナタウンやその萌芽が生まれている。
  • 最近の中国の原料高と人件費の高騰により、「安い中国製品を仕入れて異国で売る」という新華僑のビジネスの基本形が崩れる可能性がある。

『池袋チャイナタウン』が日本と中国の今を縮図のように反映しています。日本と中国は色々な面で相互依存を深め、また、軋轢も重ねていくでしょう。『池袋チャイナタウン』もそれを反映して、日々変化していくでしょう。

『池袋チャイナタウン 中国に一番近い街 行くなら今だ』

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