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昨日の朝、出勤する時に家を出たら、隣の二軒の家の子ども二人もちょうど学校に行く所でしたが、防災ずきんを被っていました。今住んでいる上尾は今回の大震災の震源地からはかなり離れていますが、「いつ余震が起きても大丈夫なように」ということかと思いましたが、むしろ、「原発に万が一の事があった場合の備えを」という先生方の判断かも知れません。

そんなに簡単に事態が好転するようには思えませんが、危険な現場で作業している皆さんの頑張りが実るのを祈るばかりです。

映画『ふみ子の海』の中で『麩』のシーンが出てきます。盲目のふみ子がお麩屋さんから焼きたての麩を貰い大事に持ち帰りますが、盲目ゆえに途中で麩を落として濡らしてしまい悲しみますが、乾けば大丈夫だよと慰められるというようなストーリーだったと記憶しています。

『ふみ子の海』の時代設定は昭和10年頃で、今と比べれば社会全体が貧しいという事になりますが、自動化された機械で作られた麩をスーパーで買って食べことしかできない現代よりも、例え生産量が少なくても、焼きたての麩が食べられた昔の方が豊かなのではないかと感じました。(というか、映画に出てくる麩が美味しそうで、実は最初フランスパンかと思ったのです。)

このところの地震の報道を見ると、食品の買い溜めをスーパーやコンビニでしかできない今と貧しいながら保存食品(麩、切り干し大根・・等々)をうまく使った昔でどちらが豊かなのかと考えてしまいます。

もっともお麩屋は今でもあり、『ふみ子の海』の麩のシーンに関しても映画のロケを行った上越市稲田にある『水野製麩店』を見て映画の台本を変更したようです。(『ふみ子の海』撮影風景の3月29日を参照下さい

今日、夜の8時過ぎに最寄り駅に着いて改札を出たらすごく暗く、節電を徹底しているなと思いましたが、街全体が暗く計画停電の時間帯である事を思い出しました。駅から家まで歩くと10分強ですが、ずっと暗い。でも真っ暗ではない。街全体が停電だからこそ感じる月の明るさ。ここ上尾でも今晩はすごく寒い、被災地の寒さは如何ばかりか。厳しい環境にある被災者の方々にも希望の明かりが灯りますように。

今日は住んでいる地域が計画停電の朝一番の組(6:20-10:00)でした。6:20になっても停電しなかったので、この地域は実際には停電しないのかなと思っていたら、6:30頃に停電になりました。炊飯器の予約は停電時刻に合わせてシフトしていて問題はありませんでしたが、今思うと何で気がつかなかったんだろうと思ったのがトイレ。用をたした後に「流す」のボタンを押しましたが、"流す"のも電動だから流れません。溜まっていたお風呂の水を利用しましたが、充分には流れません。高い所に水を溜めておいて重力で流す方式って、実はすごいhigh techですよね。

いつも利用している地元(上尾市)のスーパーに13時頃に行ったら、カップヌードル類は一人6個までという制限にも関わらず、殆どありませんでした。納豆も売り切れ、ソーセージ・ハム類も殆どありませんでした。食品類も売られているチェイン店のドラッグストアも長蛇の列、プリンタ用紙を買いに立ち寄ったホームセンターでもトイレットペーパー等の日曜必需品を買うお客さんが多かったです。節電だけでなく、もったいない精神で色々な物を大事に使う心がけが必要かも。

「なゐふる」、地震の古語。「な」は大地、「ゐ」は住む所、「ふる」は動くを意味する。

いつも海・山という自然に接し、共に生きている人たちが多く被災している事が悲しい。今は被災している方を思いやる(imgine)ことしかできないのですが。